2019年12月20日金曜日

マンゴーヒルインの瞑想室 (3)






マンゴーヒルインの3階には、瞑想室がある。
従業員は、一人ひとり瞑想をしてから仕事にかかる。
客も自由に瞑想ができる。

朝5時40分頃、東の空が明るみ始めた。
向こうが日本だ。

大戦中、ジャングルを行進している時、日本兵も
東の空を見て故郷のことを恋しく想っただろうとふっと思った。

レグーファームを見学した






JICAと政府が共同開発したという広大な農場は、250エーカーの面積を有する。
我々が借りようとしているモービーの農園は、2エーカー。
10月から3月までの5か月は、22種類の種まきの作業があって、繁忙期。
常時40名の労働者が働いているが、繁忙期には、もっと多くの労働者がいる。
労働者の月給は、女性、120000チャット、男性140000チャット。
オーガニック農場として有名で、マーケティングの心配はいらない。
消費者は、買いに来る。
中央の建物には、実験室や、研修室、管理人イイトウェさんの部屋もある。
ビニールハウスの中で栽培されているバナナの木をラオマキン先生とソーピエ君が10本ほど買った。1本70円くらい。来年には実がなるそうで、私も欲しい。
農薬は使わなくてシュエダマーという苦い木の葉などを加工して噴霧したり、
農場の周辺でその木を燃やしたりするそうだ。
よっぽど被害がひどいときは、政府が許可した農薬を使うこともあるが、ほとんど必要がないと言われた。
4か月間、泊まり込みで研修を受けられる制度があるそうでしかも無料。
「私、それを受けたい」と言ったら
「おばあさんは、10万円だ」とソーピエ君が言った。
誰も本気にしてくれない。

2019年12月19日木曜日

モービー農園をラオマキン先生が視察された



ミャンマー唯一の農業大学の教授であるラオマキン先生とソーピエ君
先生は、農園を視察した後で、ソーピエ君の構想を聞き、アドバイスをしてくださった。


管理人のドドさんから現状を聞き取る二人。
きっと窮状を訴えているのだろうが、私には、何を話しているのかさっぱりわからない。



ドドさんの住宅。
私は、まことにしつれいながら
「この家にすんでいるんですか!!!?」
と聞いてしまった。
この家で、脳梗塞のため、身体不自由(自分で動くことも話すこともできない)な兄の
世話をしながら働いている。
私の腰に手をまわして、田んぼの稲株を踏みながら隣村の親戚まで連れて行ってくれた。
案内してくれた3軒の親戚の家も似たり寄ったり。
貧しさは、一目瞭然。どこからでも屋内に入ることができる。
しかし、どの家に行ってもお茶とお茶菓子や、ラペッソや、果物を出してくれる。
出されたグアバがうまかった。初めて食べた。チーピュさんと二人で全部食べてしまった。
村人たちは、明るくて、快活で実に屈託がない。
ドドさんが、何回も何回も「ハッピーか?ハッピーか?」と聞いた。
ここにも脳梗塞のお母さんがいた。

大木の陰になっているために害虫が発生し、風通しが悪いために病気も発生する。
ここを豊かな果実が実る緑の農園にするためには、大きな課題がありそうだ。



2019年12月17日火曜日

マンゴーヒルイン の 朝食 (2)



ティを飲み放題


フルーツ4種類(バナナ、パイナップル、パパイア、スイカ)とフレッシュジュース

チャゼンチュェとトッピングとカウニェシュェタミンと魚醤
お代わり自由
この朝食が一日の活力源となる。

2019年12月13日金曜日

マンゴーヒルインの静謐なたたずまい (1)



このホテルは、ダウンタウンとヤンゴン空港の中辺にあたり空港に近いために観光客が帰国する前日に1泊することが多い。しかし、ここのところ客は激減。ひょっとするとベルギー人とかフランス人が1,2人泊まるのを見かけただけ。
部屋にテレビもない、冷蔵庫もない、町の喧騒もない緑に囲まれた静かなところだ。
私と同様、このホテルのファンである鈴木愛さんは、
月に2回くらいは、宿泊される。京都大学の野生動物調査員。
「ここがなくならなければいいがと心配しています。以前は、予約が取れないくらい人気があったんです。
経済制裁ということは、こういうことなんですね。」と言われた。


極楽 極楽
この椅子は、オーナーのパラダイスに生えた竹で作った特注の椅子。
オーナーのホーチミンが朝の9時になると決まってこの椅子に掛けて新聞を読む。
私も試みに座ってみた。深く身を沈めて空を見る。
マンゴーの緑の葉の間をちょうちょが飛んでいる。さわやかな風が頬をなでる。
素敵な椅子だ。私も作ってみたい。と言ったらホーチミンが
分解して持って帰ったらいい。と言った。

サンビョウ(玄米がゆ)の朝食。
ちょっと多すぎるんじゃない?
なんの、これを2杯頂くんです。


朝食を摂っていた時、チーガン(カラス)がやってきた。ある朝は、見る間に21羽が舞い降りてきた。
長年シンガポールで看護師をやっていたニョニョさんが
「シンガポールでは、カラスを銃で撃ち殺すのよ。シンガポールは、とてもきれいな都市なの」と言った。
私は、ドキッとした。私の町では、時々カラス駆除の町内放送が流される。
昔の”夕焼け小焼けで日が暮れて山のお寺の鐘が鳴る。・・・・・・
カラスと一緒に帰りましょ”
の風景はどこかに残っているだろうか。


私の朝食の定位置。ガーデンテーブル。こんな贅沢をしていて本当にすみません。


玄関前の椅子においてあるのは、托鉢用の食物。
尼さんが現れると、スリッパを脱いで恭しくお布施をする。









2019年12月12日木曜日

モービー農場は、ジャングルだった









モモさん、モモさんのお兄さん、ソーピエ君、チーピュさんと私の5人がモービーの農園を訪れた。
こちらの人は、冬だから寒い寒いというけれど、木々の葉は緑、生い茂って立ち入ることを阻む。正にジャングル!!!
ここが我々の農園だ。
ドドさん(63才)がここを管理しているのだが、彼女の兄は、脳梗塞で動くことも話すこともできない。彼の世話をするだけで精いっぱいでとてもこのジャングルを管理できない。地主のニラチーさんから次のようなメッセージをいただいた。
Dear Kikue, It was very nice meeting with you at Mango Hill on 23rd Nov 2019, we got a wonderful time over there. I really appreciate you and Ichi for loving Myanmar people and long term assistance in education. I can see Ichi wants Myanmar people to be parfect in behavior and doing things. He is absolutely right, however, it is still far away right now. I admire you for your dream which is going to support farmers in organic farming. After I listened about your dream and Ichi's desire, I realized myself that I did not do enough and I should do more for Myanmar people in future. Moe told me what you and their team are trying to grow something in my land. I am happy to hear about that. Don't worry about me, I just want my land to be useful for others. Please let me know if you need any advice or assistance from me. I will collect and share some information with you regarding the organic farming soon. All the best and good luck! Please do take care of yourself. Nilar

モモさんは、我々が一泊するためのベッド、毛布、蚊帳から食料まですべてを準備してくださった。お兄さんとソーピエ君がそれと5人を車で運んでくださった。車は、スズキの軽トラックとトヨタのセダン。

我々は、ジャングルの開発計画を話し合った。
ソーピエ君は、情熱と行動力がある。我々の使用可能な土地を4区画に区切って、詳しく説明をした。
モノ、人、金の計画をより詳しく考えるという。

ミャンマー唯一の農業大学の先生であるラオ マ キン先生を彼は信頼している。これまでもいろいろと親切に相談に乗ってくださったそうで、彼女にアドバイスを受けて、私が帰国するまでには、数字を示すと約束した。

2019年12月9日月曜日

ニンモアウンさんの寺子屋




ティン タイ アウン君(8歳)は、兎唇だった。
笑っているわけではないのにいつも白い歯が見えていた。
うつむき加減に話す言葉が、スースーと口からこぼれる感じがした。

ウチョーウィンに「日本でなら治せるんじゃないかしら?」と言うと、
「ミャンマーでも治せるんだけど、金がないから治していないのだ」と言った。

莫大な金が要るのだろうかと思って、聞いてみると、
手術代は、無料だけど後の治療費が実費だとのこと。

お母さんは、早くに亡くなった。お父さんはいない。
祖父と祖母と下の写真の二人の姉の5人暮らし。
姉二人と一緒にニンモアウンさんの寺子屋に2年間通っている。
大切なビルメロの子だ。

本人や家族の方や皆で相談して手術を決断し、実施してもらった。
その結果が知りたかった。

写真の通り、少し腫れは残っているがきれいになっていた。
「怖かった?」と聞いたら、首を横に振って、
「眠っていたからなにも知らなかった」と言った。
そして、かすかに笑った。その笑顔が本当にうれしかった。

手術は、10月に実施される予定だったのだが
11月に韓国の医師が来られるということで延期されていたのだ。
そして、11月12日入院。13日に施術を受けた。

チーピューさんの話によると、まだ治療中だしはっきりは分からないけど
これまでにかかった費用は、だいたい70000チャットくらいだとのこと。
日本円にしたら、7000円くらいかしら?
生まれた時から分かっていたことなのにこの金が払えなかったのだ。

私は、「よかったね!!!おいしいものをいっぱい食べてね」
と言って棒切れのように細い腕をにぎった。




2019年12月5日木曜日

日本語学校オープン




タニベ村の若い女性4名は、日本の国際医療福祉専門学校への入学を希望している。
しかし、実際日本へ来るためには、日本語検定試験N3以上を取得することが必須となる。
彼女たちが、どのようにして日本語を学ぶことができるだろうか。
往復6時間の距離を通うことは、到底無理な話。
ヤンゴンに泊まるところはない。

私は、今回貧しいタニベ村の若い女性たちが、日本で働くことができる道を開きたいと思ってきたのだが叶わないことになった。
前にも希望していた女性3名は、既にシンガポールでメイドとして働いている。

しかし、事務所で、日本語学校とまではいかないが日本語学習を始めた。
8名のうち、レベルが違うので、ひらがなクラスと漢字クラスに分けて
ひらがなクラスをチーピュさんが教え、漢字クラスを私が教えることにした。

なんと吸収の早いことか。
チーピュさんは、N3を受験したところだが、ひらがなクラスをきちんと教えている。
キンマンジー先生も生徒の一人。
先生が、村へ帰って教えるのが最良最短の道だったのだ。

一人一人の夢がかなうようにできることをできる限り応援したいと思っている。