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2014年2月18日火曜日

チン族の少年たち at the orphanage in Myanmar



生まれて初めてロールピアノに触れ、少年は、ピアニストになりたいと言った。
The boy touches the roll piano for the first time.
He said that he'd like to become a pianist.


チン族の言語は、ビルマ語ではありません。

チン州から引っ越してきた子供たちは、ビルマ語ができないので学校へも行けません。

だから、この孤児院で、ビルマ語の読み書きから勉強を始めます。

でも、

生まれ育った故郷で覚えた歌が大好きです。


2014年1月4日土曜日

ミャンマーのヤンゴン市郊外の暮らし life in suburb of Yangon











Dec 2013








ミャンマーは、民主化が進み、どんどん発展している。
と、思われているかもしれませんね。

でも、そんなに早く、スムーズに人びとの生活まで変わるはずがありません。
大部分の一般庶民の生活は、何の変化もありません。


2013年5月31日金曜日

雨に濡れた路上で on the road of Rangoon



ヤンゴン市の中心部を早朝歩いていたら、あちこちに物乞いの人がいました。
私が1000チャット(100円相当)をあげるのを見ていたらしいジェントルマンが、私に近づいてきて、言いました。

「この国は、仏教国だから、人は、おめぐみを与えます。
でも、彼等は、最も安易な生き方をしているのです。」

そう言って、ひょうひょうと去っていった紳士は、この国の知識人だと思いました。
私は、確かに100チャットくらいでよかったかなあ、惜しいことをしたかなと思いましたが、
でも、
生活保護を受けながら文句ばかり言っている日本人よりは、雨に濡れた路上で、働いているわけだから、まあいいか。
それに、ここまで人としての誇りを打ち捨てることだって、そう安易なことではないかも知れない。
と思いました。

それにしても、外国資本の乱入と物乞いとそれを斜視している知識人は、現実のミャンマーを象徴しているのではないでしょうか。



2012年9月7日金曜日

たのしーい!Paraung Kids、Namsan Myanmar

2012年4月 北シャン州ナムサン ペヤージ村

望月先生の授業に大喜びの

子供たち。

Paraung kids are very happy 

to take a lesson from Mr.Motizuki.

I think kids would remember this lesson

for the rest of their lives.

May Buddha bless all these Paraung Kids.



2011年7月6日水曜日

パラウンの子供達 Paraung kids northern Shan State, Burma


ほっぺだけではなく、おでこにも鼻の頭にもタナカーを塗っています。

ナムサンは、標高1500メートルくらいあるので、けっこう朝晩は冷えます。

左の子供は、毛糸の帽子をかぶっています。

Namsan is located over 5000 feet above the sea level.

It's cool in the morning and the night.

So left kid wear a wool cap.

a Paraung kid puts Tanaka on his face.

Tanaka is a common person's name in Japan.

I think Myanmar language and Japanese language have a same root.





2011年6月27日月曜日

ナムサンの子供達 地図に悩む Kids in Namsan

自分たちの村はどこかなー
They are looking for the place where they live on the map.
Unfortunately, no kids could point out their village on the map.


地図に興味津々の子供達
Paraung kids are really interested in the map.

ナムサンの子供たちに、自分たちの住んでいる場所を訊きました。
残念ながら、誰も答えられませんでした。

つぎに、ミャンマーはどこか世界地図を見せて訊きました。
これも、答えられませんでした。

ヤンゴンでも、状況は似たようなものでした。
ミャンマーでは、あまり地理は重要視されていないのかもしれません。


2011年6月9日木曜日

ミャンマーの青空教室 an open-air class in Burma

木陰で勉強する子供たち。
家の中は、子供たちで立錐の余地もないほど。
トタン屋根の熱で、滝のように汗が流れる。

木陰は、涼しい。
親の陰は、涼しい。
先生の陰は、もっと涼しい。
でも、仏陀様の陰が、一番涼しい。

a shade of a tree is cool
a shade of parents is cool.
a shade of a teacher is cooler.
a shade of Buddha is the coolest.


2011年5月28日土曜日

a flower girl in Namsan ナムサンの花売り娘

朝早くから花売りする少女。


私は、飛騨の山里に住んでいました。
小学生のころ、隣の登美ちゃんと山へササユリを採りに行きました。
採ってきたササユリを町へ売りに行きました。
町が、目覚め始ためたころ、
「花、いらんかなあああああ」
と言って、売りました。
町の子供(同級生)は、お母さんに起こされて、眠気眼をこすっていました。
「山の友達が、もう花売りにみえたよ」
と叱られていました。
花が売れてしまうと、あわてて家へ帰って、学校へ行きました。

今、ナムサンの子供たちを見ると、懐かしい追憶がよみがえってきます。

When I was a small child, I lived in a mountainous area called Hida in Japan.
I woke up early in the morning, I went to mountains to gather Japanese lilies into a basket with my best friend Tomi chan.

Then we went to the downtown to sell the flowers with a loud voice.
The town begun to wake up and we walked around the downtown saying
"Anybody want some flowers?"
A mother of my classmate woke a sleeping daughter.
She got a scolding from her mother.
"Your friend from mountains already come and sell flowers."
After we sold all the flowers, we rushed back to our home and went to school.

Seeing a flower girl in Namsan, I really remember my childhood days nostalgically.



2011年5月10日火曜日

起き上がりこぼし ミャンマーの子供が描いた絵



日本のお友だち “負けないで”

これは、“ピ タイ タウン”といいます。
たとえ投げても、起き上がり、いつも微笑んでいます。
決してあきらめません。
ミャンマー人は、この人形が好きです。
これを見ていると勇気がわいてきます。
                                 ニーカンチョー(11歳)



2011年4月30日土曜日

千羽鶴



被災した日本の皆さんのために千羽鶴を折りました。
お兄さんからたくさんの小学生が津波にさらわれたお話を聞きました。
とても悲しくて、つらいです。




2011年4月29日金曜日

鶴で恩返し

日本の被災した子供たちのために鶴を折っています。
元気になってねーーー


2011年3月4日金曜日

Children in Myityina,Burma 41 カチン族の子どもたち


カチン州の気候は、日本と似ています。
戦後、食糧難に陥った日本は、ビルマ政府にカチン州への移民受け入れを打診したとカチン族の人から聞きました。移民受け入れは、実現しなかったそうです。

2011年1月20日木曜日